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魚沼食創人探訪vol.9

魚沼食創人探訪

魚沼は食の宝庫です。魚沼の食を支える農家や、作り手たちを紹介させていただきます。

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魚沼食創人探訪vol.9

清水又一さん山の稜線まで、深い緑が覆っている。魚沼の夏は、この緑と真っ赤なスイカの実が彩る。
 
南魚沼市の八色原を中心として栽培されている八色西瓜は、日本一うまい。甘く、しゃきっとした味は、全国のスイカ好きをうならせる。
 
 穴地新田という集落に住む清水又一さんは、この八色西瓜を作って、40年以上になる。もともと、11代もつづいた生粋の農家だ。
 
「私の若い頃は、そんなにスイカ栽培は盛んではなかった。それが、この付近でできるスイカが特別に美味しいということで評判になって、八色スイカとして広めようということになった。組合ができて大体30年くらいでしょうか。それから、みんなで研鑽をつんで、いろいろ試してみて、年々品質が向上してきて、今に至っているわけです」
 
 昭和30年代から40年代にかけて、ビニールによる保温効果を利用したマルチングと呼ばれる栽培法が普及した。この栽培法は、スイカが直接雨に当たることを防ぎ、病気から守る効果がある。そのため、この地域でのスイカの量産化が可能になった。50年代になると、一斉着花の技術が登場し、同じ畑での収穫時期の統一が可能になった。こうして、八色西瓜の品質は飛躍的に向上し、生産量も伸びた。

収穫直後の八色西瓜 八色西瓜生産組合には、現在120軒ほどの農家が加盟している。清水さんは、その中でも古株だ。現在、1町8反歩の畑にスイカを栽培しており、ひと夏に大玉で6,000個、小玉で4,000個を出荷している。
 
「私は、スイカというのは、大きいのがいいと思っている。実が大きくてふっくらしたのは、甘くてしゃきっとしていて、それで香りもよく、極上品が多いんですよ」
 
 その父親と一緒に、この夏スイカを作っているのは、長男の雅巳さん。一度は料理人を目指して家を離れたが、7年ほど前に帰ってきたのだという。
 
「別に農家を継ごうと思っていたわけではないのですが、家にいて職探しをしている間に、親父が勝手に農業大学校の入学願書を取り寄せてしまって、・・・」
 

 
清水雅己さん ということで、2年間、学校に通って農業の基本を学ぶ。そして、農家を継いだ。又一さんに言わせると、昔は農業なんかに見向きもしなかった、というが、いまは、「やりがいのある仕事」だと言い切る。
 
 このところ、大きく延びているのは、ひとりじめ7(セブン)という品種の小玉スイカだ。家庭の冷蔵庫に入る大きさ、ということで、都会での需要が伸びている。このスイカの栽培を始めたのは、雅巳さんの方だった。しかも、問題があった。
 
「ハウス栽培ということで、農協は糖度に問題があるだろう、と扱ってくれなかったんです。で、市場に直接持ち込んで鵜って欲しいと頼んだら、市場の社長が興味を示してくれて扱ってくれました」
 
収穫の清水親子 ハウス栽培では、あたる日光の量が少なくなるので、どうしても糖度が少なくなる。それを解決したのも雅巳さんだった。
 ハウス栽培の場合、水の管理が比較的楽だという。そこで、収穫の10日ほど前から、スイカにやる水を少なくした。すると、糖分が全体に回って、しかも、甘くなって、露地栽培のものに負けないほどの味になった、という。

 いま、年間4,000個の出荷を果たしていて、しかも、年々増えている、という。しかも、収穫時期が大玉より半月ほど早いため、農作業の効率からいっても、おおいに効果的だ。
「息子は、やる気がある、と思います。とくに、これからの農家には欠かすことのできない、販売、ということをよく考えています」又一さんも、すっかり信頼をおいている様子だ。
 
 お盆が間近いこの頃、スイカの収穫は最盛期を迎える。何人ものアルバイトの若者たちと一緒に、清水さん親子は汗を流す。その汗が、いっそうスイカを甘くするのだ、という気がする。
 

文・写真  中島太一

vol9_9.jpgアルバイトの学生とvol9_7.jpg12代目? 
 

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